2017年7月17日月曜日

眼精疲労

二週間ほど忙しいのと暑さで疲れてしまいました。3年ほど前から疲れると目の焦点が合わなくなって困ります。3年前になった時はナボリンSを飲んだら治ったので今回も飲んでいますが二日目ですがまだ治りません。早く効いてこないかなぁ。お庭のバラを撮ったら後ろが真っ暗・・・後ろの葉っぱがボケて撮れる予定だったのに黒で切り取ったよう(;'∀')
夏らしくて大好きなアメリカ芙蓉。朝、雨が降ったので雨の滴に濡れています。花びらの淵が雨で痛んでいたので真ん中だけを撮ってみました。しばらく家でのんびりしたいです。

2017年7月9日日曜日

世界遺産の街モスタルとまだこれからのサラエボ

5月24日7:30ドブロブニクを出発、ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルへ向かいました。国境を越えクロアチアからボスニア・ヘルツェゴビナへ入ると銃弾の跡が残る建物が頻繁に目に入ってきました。

11時にモスタルのバスターミナルに到着。添乗員さんの情報ではこの売店がお土産の最安値とか。
バスターミナルの隣にある聖ペーター教会、16世紀にカトリック教会として創建されたが、内戦で破壊され、2,000年に再建された新しい教会。100mを超える鐘楼にはエレベーターで上れるそうです。良い景色が見られそうですが行けませんでした。
有名な橋に行く途中に紛争で破壊されたのでしょうか、壊れた住居が残っていました。この前の道には物乞いの男の子や赤ちゃんを抱いた女の子がずらずら座っていました。約20万人の死者と200万人以上の難民を出したボスニア紛争が終わって約20年。クロアチアから来ると復興度合に大きな格差を感じます。
ネレトヴァ川をはさんで東側はイスラム系住民、西側はクロアチア系(カトリック教徒)住民の居住区で長い間、スターリ・モスト橋を行き来し平和に共存をしていたそうです。
川の色がとっても綺麗で印象的でした。
ネレトヴァ川にかかるスターリ・モスト橋。1566年、オスマン・トルコ帝国の時代に建造された。ボスニア紛争の最中、1993年に破壊されてしまいました。2004年、両民族の努力とユネスコの支援を受けたトルコ企業によって復元され、翌年2005年世界遺産に登録されました。

橋の近くの道は観光客で溢れていました。この通りで絵を1枚買いました。とても真面目そうな青年だったので。復興途上のこの町でお金を使えば少しは役に立つのかなと思ってお土産物屋さんを覗くのですが売っているものはトルコのものばかり・・・(-_-;)
結局、バスターミナルにある最安値の売店でポロシャツを買いました。たったの8ユーロでした~1,000円しない!ちっとも貢献できない・・・。紺と白のボーダー柄で有名なクロアチアのAqua Maritimeとはデザインと品が全く違うけれど値段がかなり安い(◎_◎;)
モスタルからバスで2時間半、サラエボに到着。激しい雨の後だったのでミリャツカ川が茶色く濁っていました。
 サラエボはボスニア・ヘルツェゴビナの首都。旧市街は趣のある古い建物が立ち並ぶ素敵な街並みです。旧ユーゴは『七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家』と形容されていた国なのでサラエボにもいろいろな教会があります。
サラエボと聞いて最初に頭に浮かぶのはサラエボ事件でしょう。そのサラエボ事件でオーストリア皇太子夫妻が暗殺された場所。
暗殺現場の前にかかるラテン橋
オーストリア・ハンガリー帝国時代(1894年)に市庁舎として建設され、1949年より、国立図書館として貴重な書物が保存されていたが、ボスニア紛争開始直後の1992年、砲撃を受けて全焼、200万冊以上の本や資料などが失われた。現在の建物は建て直され2014年に修復工事が完了したばかり。
サラエボ事件で暗殺されたオーストリアの皇太子夫妻はここを訪れた帰りに暗殺された。
セルビア正教会の大聖堂、バルカン半島全体でも最大級の聖堂のひとつ。
カトリックの大聖堂、ボスニア紛争の時、激しく損害を受け、土台の部分には弾痕がある。
大聖堂の前にあった「Sarajevo rose(サラエボのバラ)」と呼ばれているもの。ボスニアの内戦の時に砲弾を受けて犠牲者が出た場所、砲弾の跡のくぼみを赤い樹脂で埋めている。紛争の悲惨さを人々に訴えるものだがあまりに生々しく胸が締め付けられてしまう。20年たち復興が進み数が減ってきているそうです。一日も早く美しいサラエボの町に戻ることを祈ります。
ガジ・フスレヴ・ベイ・ジャーミヤ、この国で最も重要なモスク。かわいい地元ガイドさんはベルばらのファンで秋から日本に留学するそうです。日本のアニメはここでも浸透していた(*^-^*)
バシュチャルシヤ、トルコ語から由来するバザール
ホテルハリウッドに泊まりました。4つ星のホテルですが天井の電気を見てもクロアチアやスロベニアに比べ経済面でかなり遅れているのを感じます。サラエボ国際空港まで車で5分なのが何より便利。夜、このホテルで大学の卒業記念パーティーが行われ結婚式のような派手な衣装の若者たちで大盛り上がりでした。悲しい過去をもつサラエボですが、そんなことを感じさせないほど若い人たちは元気で希望に満ち溢れていました。旅の最後にホッとさせられました。
帰りはミュンヘン乗り継ぎでした。ミュンヘン空港は広いので大急ぎで移動し待ち時間0! 飛行機の乗り継ぎで待ち時間がないって最高です。
これにて今回の旅日記は終了です(^^)/~~~

2017年7月4日火曜日

ドブロブニク ② 絶景、絶景の城壁巡りと遊覧船

ランチの後、城壁巡りへ出発
ドブロブニク城壁は周囲約1,900m、厚さ5m、高さ20mの他の地域で見た城壁よりずっと堅牢な市壁です。私達はピレ門から一周しました。絶景過ぎて写真を選んでいたらたくさんになってしまったのでムービーにしました(^_^;)

どこを見ても青い海と真っ青な空が美しかったです。しかし日差しが強くノースリーブの上に着たUVカットの長袖のカーディガンが脱げなかったです。
城壁巡りのチケットでこの写真のロヴリイェナツ要塞にも入場出来ます。城壁巡りの後で行くつもりでいたのですが暑くて暑くてぐったり・・・
とりあえずプラツァ通りのカフェで休憩。コーヒーフロート、日本円で1,000円ぐらい。城壁内は銀座価格ですが美味しかった~ ドブロブニク以外はどこも市販の瓶をポンと置いていくだけなのにドブロブニクではお店で作られたものが出てくるのでホッとします。ロヴリイェナツ要塞に行く元気はもはや無いのグラスボートでロクルム島を一周する遊覧船に乗りました。ゆっくり城壁を外から眺めることが出来て良かったです。
ロクルム島はもとはオーストリア大公マクシミリアンが1859年に別荘と大きな庭園を作った島です。 現在は宿泊は禁止されていますが海水浴は出来ます。ヌーディストビーチがあることで有名ですが、ファミリービーチとは区分けされています。シーカヤックで行くアクティビティが人気でたくさんのカヤックが行ってました。
旧港から40分ほどのミニミニクルーズです。乗客は私達夫婦と若い女の子二人の4人だけなので本当にゆっくり出来ました。<休憩モードです(;^_^
岩の上にカフェがあります。
岩の間の人はいったいどこから・・・?
海から見ると頑強な城壁なのが良く分かります。
ロクルム島、この辺りは釣りをしたり泳いだりしているビーチ
この洞窟付近の海の色がとても綺麗。この次に現れた崖がヌーディストビーチ、遠くにマッチョなおじさんが横たわっている様子、美女はいませんでしたよ。
おじさんの後ろになってしまったのですが孔雀がいます。マクシミリアン大公がカナリア諸島から持って来たクジャクが野生化して現在もいるのです。
ロクルム島を一周して戻ってきました。
バニェビーチ、小さいけれど砂浜のビーチ
女の子たちが見ている景色を継ぎ足してみました~
遊覧船から降りたら集合時間10分前、ダッシュでピレ門まで戻りセーフ!
ホテル・クロアチアから見た夕焼け
ものすごい大型ホテルなので朝、日本のツアー客でごった返していました。他所のツアーの添乗員さんにバスに乗ってくださ~いと声をかけられた<オイオイ自分のお客さんぐらい覚えてよ。

2017年7月1日土曜日

ドブロブニク ① 旧市街観光と絶品ランチ

5月23日、丸一日ドブロブニクの観光です。『紅の豚』のモデルとなった美しい街並み、あの映画でみた青い空と海、この日もシャッターを押しまくりました。
泊まったホテルからの景色です。ドブロブニクからバスで20分離れたチャフタットにあるホテル・クロアチアです。もっと高いツアーならドブロブニクの夜景が見えるホテルに泊まることが出来たのでしょうね・・・😢
8時半にホテルを出発し午前中はツアーでスルジ山と旧市街観光、午後は自由なので城壁巡りと遊覧船に乗りました。
一番最初にスルジ山の山頂へロープウェイで登りました。
城壁の外も美しい街
先に見える半島の向こう側のまだ先に泊まりました。大きな木に邪魔されることがない横から見る景色がとても良かったです。ロープウェイは1991年のクロアチア独立戦争の際に破壊され、2009年に新しく作られました。
向うに見える島はヌーディストビーチがあることで有名なロクルム島
アドリア海の真珠と謳われる景色!!
これを見たくてクロアチアまで来たんです。晴れて良かった\(^o^)/
次は城壁の中の観光です。ドブロブニクは13世紀以降、地中海交易の拠点として栄えた街。
ピレ門から中に入りました。かつては木製のはね橋がかけられていたそうです。ナポレオンもこの門をくぐってこの街に侵攻した!
ドブロブニクは1979年には世界文化遺産に登録されましたが、1991年にはユーゴスラビア崩壊による内紛が勃発した時に世界遺産の街は大丈夫だろうと思っていたら、1991年12月6日、突然スルジ山から、2,000発もの砲弾を浴び街は壊滅状態に陥りました。左の地図には砲弾が直撃した場所、全壊した家、半壊した建物等の場所が●▲等で詳しく示してあります。右の写真は壁に残る砲弾の跡。壊滅状態になってしまったのでユネスコは緊急に保護が必要な「危機遺産リスト」に載せました。その後の保護活動と市民の手により再建され、1994年に改めて世界遺産登録!! こんなことがあったなんて信じがたいほど平和で美しい街でした。
プラツァ通りには人がいっぱい
オノフリオの噴水、1438年にイタリアから呼ばれた職人によって建造された。ドブロブニクは上下水道など公衆衛生が整備された当時の最先端都市だった。
1877年に作られたセルビア正教会
ドゥブロヴニク大聖堂、狭~い旧市街の中に教会が20個以上あるそうです(@_@)
聖ヴラホ教会、聖ヴラホはドブロブニクの守護聖人  「ピレ門」の上にもいらした!
広場の真ん中に「騎士ローラント像」があります。像の右肘から手までの長さ51.2cmが、取引における長さの基準になっていた。物差しが普及していなかった当時、基準を示すものの存在は画期的だった。世界ふしぎ発見でもやってたなぁ。
ルジャ広場に面して建つ総督邸
一際古めかしい聖救世主教会、1667 年の大地震でも倒壊せずに残った数少ない建物の 1 つ。ルネサンス様式の建築として有名で、この地域のほかの教会の設計に影響を与えた。
この教会の隣がフランシスコ会修道院。私達はこの教会の隣の階段から城壁へ上がりました。
フランシスコ会修道院に併設するマラ・ブラーチャ薬局、左が入口。1317年に開業したこの薬局はクロアチアで最も古く、現在も営業している薬局の中では世界で3番目に古いものと言われている。中世から受け継がれるレシピに基づいて作られているコスメが人気ということなのでリップクリームを買ってきました。
青空市場と旧港を回って解散になりました。
ツアーについている食事は期待できないので自由の時に奮発しました~
今回の旅行中、ホテルの食事は夜もブッフェ、世界中から旅行者が来るのでホテルのスタイルがそうなっているようです。
創業1886年の老舗レストランプロト。皇室の方々や著名人が足を運ぶという有名レストラン。二階からはスルジ山が見えます。フォークとスプーンが持つ手に合わせて内側に傾いているのには驚きました。
私が選んだのは手長エビとトリュフのパスタ、手長エビの剥き身と黒トリュフのスライスが惜しげもなくどっさり!! 新鮮なトリュフってシャキシャキしてるんだ、初めて知った!
スープはエビのビスク、美味しすぎて言葉が無い😋 夫が選んだホタテのグリル、付け合わせは今回の旅行中ずっと付け合わせに出てきたジャガイモとほうれん草のぐちゃぐちゃがプロトではこんなにおしゃれになって出てきた、味も今までとちゃうやんか<何故か関西弁になる
これで一人約7,000円! 城壁の中は物価が倍になると聞いていたが・・た・たかい(・_・;) 添乗員さんが言うにはドブロブニクはレストランがファースト、ビジネス、エコノミーとあって味は値段に比例していくとか・・・新鮮なトリュフを知ったから満足です。
お腹がいっぱいになったところで、次は城壁ウォーキングへ出発です。